2011年6月29日水曜日

kimiko Kasai(笠井紀美子) - My Heart Still Waits for You



笠井 紀美子(かさい きみこ、1945年12月15日 - )は京都府出身のジャズシンガーで、同志社女子高校中退後、1964年に上京し、スタンダードナンバーを歌ったり、Fusion(フュージョン)の要素を取り入れるなどしてジャズファンの人気を集めました。

1979年に渡米し、1998年までジャズシンガーとして活躍し、現在はジュエリーデザイナーをされているそうです。

ご主人は、歌手であった故ミニー・リパートンの元夫でプロデューサーのリチャード・ルドルフ氏です。

フュージョン(Fusion, Jazz Fusion)は1960年代後半から現在に至るまでのジャズを基調にロックやファンク、R&B、電子音楽、ワールドミュージックなどを融合(フューズ)させた音楽のジャンルで、時にはクロスオーバーとも、AORとも称されるときもありますが、一般的には、ジャズジャンルから確立されたものの一種に位置づけされています。

ジャズの生命線はなんといってもリズムですので、笠井紀美子の往年の透き通るように抜ける声が衰えたとはいえ、リズムを繊細に捉えたボーカルを聞いてください。

曲は4拍子でドラムスが大変分かりやすいリズムを刻んでいますが、わからないときはキーボードの出だしが1(One)です。

笠井紀美子でもう一曲、1977年にリリースされた名作「Vibration」です。



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2011年6月27日月曜日

B. B. King(ビービーキング)- 3 o'clock blues



B.B.King(ビー・ビー・キング)の「3 o'clock blues」です。

B.B.King(ビー・ビー・キング、本名 Riley B. King 、1925年9月16日 - )は、アメリカ合衆国のブルースギタリストであり、歌手、作曲家でもあります。

1950年代から現在まで常に第一線で活躍してきたカリスマ的な人気を持つ、世界的なブルース界の巨人です。

B.B.King は1925年9月16日にミシシッピ州北西部のイッタベーナのプランテーションに生まれ、子供の頃は農場の小作人として働いてきましたが、その頃からギターを手にし、T-Bone Walker(T-ボーン・ウォーカー)やLonnie Johnson(ロニー・ジョンソン)と言ったギタリストの音楽に影響を受け、さらに Gospel music(ゴスペル音楽)にも影響をうけました。

やがて成長した彼は、テネシー州西端のメンフィスのラジオ局WDIAでDJをするようになり、そのときに番組のスポンサーであった飲料の商品名から「The Pepticon Boy」と名乗っていましたが、後に「Beale Street Blues Boy」と名乗るようになり、略して「Blues Boy」と呼ばれるようになりました。

その「Blues Boy」を略して「B.B.」となったわけです。

その後1949年にレコード・デビューを果たし、1951年末にこの「3 O'clock Blues」のシングルがR&B(リズムアンドブルース)チャートの1位となり、これを契機にその後、数多くのヒット曲を世に送り出すこととなります。

この曲はR&B独特のゆっくりとしたリズムの4拍子ですので、バックのドラムスの音をよく聞いて、どこが1(One)であるか確認してカウントを取るようにしてください。

わからない場合はこの曲も歌い出しが1(One)&ぐらいですので、それを目安にカウントしてください。

どこが1(One)であるのか自分でわかるまで聞いてその感覚をつかんでください。

また、途中でテンポが若干変わって早くなりますが、乗り遅れずにカウントを取る練習をしてください。

音楽を知識として理解するのではなく、感覚あるいは感性として理解することが目的ですので、音楽を聞くときは必ずカウントしながら聞く習慣をつけましょう。

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2011年6月25日土曜日

The Three Tenors(三大テノール) - 1994 - O' sole mio



The Three Tenors(三大テノール)の 左から Domingo Carreras Pavalotti(ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティ)による O'sole mio(オー・ソレ・ミオ)です。

このオペラ歌手であるいわゆる「世界三大テノール」の3人は日本でも大変な人気で、今年に入ってその中の一人のプラシド・ドミンゴが来日して、4月10日に東京・渋谷の NHKホールで公演を行い、東日本大震災の被災地のために 義援金20万ドル(日本円にしておよそ1600万円)を寄付しました。

また、一番年長で人気のあった、イタリアのオペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti、1935年10月12日 - 2007年9月6日)は、膵臓がんを罹患し、手術を受けましたが、2007年9月6日、モデナの自宅にて腎不全により71歳で死去しました。

同年9月8日、モデナの大聖堂でその葬儀が行われ、プローディイタリア首相、アナン前国連事務総長、ボノ(U2)やこのブログでも取り上げたアンドレア・ボチェッリなどの著名人も参列し、市民ら約10万人も集まり弔意を表し、早い死去を惜しみました。

「オー・ソレ・ミオ」(ナポリ語:'O sole mio、私の太陽)は、有名なイタリアのカンツォーネ(ナポリ民謡)で、ギアヴァニ・カプロ作詞、エドゥアルド・ディ・カプア作曲にる1898年の作詞作曲です。

世界中で翻訳され、様々な言語でも歌われますが、通常は原詩原詩のナポリ語で歌われます。

カンツォーネ (Canzone) は、イタリア語では単に「歌」を指す単語ですが、日本国内においては主に19世紀末から20世紀初頭に書かれたイタリアの大衆歌曲、特にナポリのもの(カンツォーネ・ナポレターナ、Canzone napoletana)を指すことが多く、これらはイタリア民謡とよばれることもあります。

しかし、古くより伝承された作者不詳の歌ではなく、近代において専門的な作曲家によって作曲された流行歌であるため、「民謡」と呼ぶのは適切ではないとする意見もあります。

また、この他、1960年代~1970年代に日本で流行したイタリアのポップスもカンツォーネと呼ばれることがあります。

この曲は4拍子ですが、伴奏の打楽器やベース音もなく歌声が中心ですので、カウントが取りにくいと思いますが、歌い出しが1(One)ですので、そこからカウントしてください。

音楽に限らず芸術は知識ではなく感性を開くことが重要です。

そのためには、まずは慣れることが第一ですので、たくさんの曲を聞いて、カウントを取れるようにしてください。

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2011年6月23日木曜日

Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ) - Besame Mucho (2006)



ラスベガス湖で行われた Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)のライブから「Besame Mucho(ベサメムーチョ)」です。

Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ 、1958年9月22日-)はその甘い歌声で世界中で人気を博すイタリアのテノール歌手です。

ボチェッリは6歳でピアノを始めましたが、12歳の時にサッカーボールを頭に受け脳内出血を起こし失明しました。

その後、視覚障害という大変なハンディキャップを乗り越えて法学博士号を取得し弁護士として活躍していました。

しかし、歌手になる夢は捨てきれずにいたところ、その後、世界的なテノール歌手であるルチアーノ・パヴァロッティとイタリアを代表するロック&ポップス歌手のZucchero(ズッケロ)に見出され1994年に歌手としてデビューしました。

ボチェッリは1994年のサンレモ音楽祭新人部門で優勝し、イタリアン・ポップス、カンツォーネの曲を収録したアルバムを2枚発表した後、「VIAGGIO ITALIANO」というアリアやナポリターナなどを歌ったアルバムを発売し、ヨーロッパ中で大ヒットとなり、世界中の音楽ファンに知られるようになりました。

ご記憶の方もおられると思いますが、ボチェッリは2006年に行われたトリノオリンピックの閉会式で「Because We Believe」を歌ったほか、数々のイベントで歌う国家的な人気歌手でもあります。

曲のBésame mucho(ベサメ・ムーチョ)は、1940年にメキシコの女性コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)によってスペイン語で16歳の誕生日前に書かれた有名な曲で、競技会では編曲されてルンバの曲としてかかる場合があります。

打楽器と伴奏の演奏をよく聞いて、どこが1(One)であるか確認しましょう。

どうしても、1(One)が確認できない人は、♪ベサメと歌い出すときの「べ」が1(One)ですので、そこからカウントを取る練習をしてください。

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2011年6月18日土曜日

Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン) - Summertime (Live Gröna Lund 1969)



ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)の Summertime(サマータイム)です。

サマータイム(Summertime)は、ジョージ・ガーシュウィンが1935年のオペラ『ポーギーとベス』のために作曲したアリアで、作詞はデュポーズ・ヘイワード(DuBose Heyward)です。

もともとはオペラの楽曲であったわけですが、Sarah Vaughan(サラ・ボーン)やElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)などによって歌われ、現在ではジャズのスタンダード・ナンバーとして知られています。

また、さまざまにアレンジされて、ポップス、ロックなど幅広いジャンルでも歌われている人気のある曲です。

ジャニスのこの演奏ではR&B(Rythem&Bruce・リズムアンドブルース)にアレンジされているわけですが、ごくSlowなテンポですのでゆっくりとしたカウントを取ると、リズムが理解できます。

ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin、本名: Janis Lyn Joplin、女性、1943年1月19日 - 1970年10月4日)は、アメリカ合衆国テキサス州ポート・アーサー出身のロックシンガーで、魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、1960年代を代表する歌手として活躍しました。

ロックの歴史を代表するシンガーとして、世界中のロックファン、音楽ファンに、亡くなってから40年を経た現在でも、根強い人気のある歌手です。

Janis Joplinは「ローリング・ストーン(誌)の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第28位にランクされています。

Janis Joplinは天才にありがちな繊細で精緻な性格から薬物異存に拍車がかかり、1970年に27歳で夭折しています。

このライブはその前年に行われたものですので、Janis Joplinが歌手として熟成した全盛期の歌声であるわけです。

このゆっくりとしたブルースのリズムをしっかりと聞き取れるようにしてください。

最後にJanis Joplinをスターダムにのし上げた伝説のモントレー・ポップ・フェスティバルの「Ball & Chain」です。



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2011年6月15日水曜日

Aretha Franklin(アレサ・フランクリン) - Think.


Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)の「Think」です。

映画「Bruce Brothers」にも出演してこの「Think」を歌い、日本でもおなじみの Soul Singer です。

アレサ・フランクリン(Aretha Franklin、1942年3月25日 - )は、アメリカの女性歌手で、ソウル歌手のサム・クックと共にひときわゴスペル・フィーリングの強い歌唱を持ち味としており、“クイーン・オブ・ソウル”あるいは“レディ・ソウル”の異名を持つソウル歌手です。

1960年代後半の作品群が特に有名で、Otis Ray Redding Jr.(オーティス・レイ・レディング・ジュニア)と共にSouthern Soul(サザン・ソウル)隆盛に寄与し、1987年に、女性アーティスト初のロックの殿堂入りを果たしました。

Southern Soul(サザンソウル)は文字通りアメリカ南部から生まれたSoul Music(ソウルミュージック)で、Gospel Song(ゴスペルソング)やBruce(ブルース)に直結した音楽をいいます。

アレサは「ローリング・ストーン(誌)の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれています。

つまり、アメリカで最も人気のある歌手であるわけです。

分かりやすく言うと、日本でいえば美空ひばりにあたる歌手です。

また、来日公演が一度も行なわれていない大物アーティストの一人です。

これは、1967年に、Otis Ray Redding Jr.(オーティス・レイ・レディング・ジュニア)が飛行機の墜落により死去したことがきっかけで飛行機恐怖症になり、アレサは海外公演を行わなくなったからです。

この影響により、アレサの公演はバスで移動が出来ない北米以外の国では行なわれておりません。

アレサ・フランクリンはメンフィスの生まれでデトロイト育ち、父親は教会の牧師であり、彼女は幼い頃から父の教会でゴスペルを歌っていました。

代表曲は「Respect」、「Chain Of Fools」、「(You Make Me Feel Like A) Natural Woman」(キャロル・キング)、「I Say A Little Prayer」(バート・バカラック)、「Bridge Over Troubled Water」(邦題:明日にかける橋, サイモン&ガーファンクル)などです。

「Bridge Over Troubled Water」はゴスペルにアレンジされており、特に当時アパルトヘイトで苦しんだ南アフリカでヒットし、教会で賛美歌として歌われるようになりました。

この「Think」はリズムが比較的はっきりしていて、カウントを取りやすい曲ですので、1(One)2(Two)3(Three)4(For)をしっかりと意識して、どこが1なのか、どこが2なのかを確認してカウントするようにしてください。

リズムのカウントはコーチの取ったものに合わせるのではなく、自分で音楽を理解し、3拍子1,2,3,あるいは4拍子1,2,3,4のリズムを確実に認識することが重要です。

ボールルームダンスの技術をどんなに優れたコーチに師事しても、音楽がわからないと全く意味がないということになりますので、とにかく音楽を聞くときはカウントを取ることを癖にしましょう。

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2011年6月12日日曜日

Edith Piaf(エディット・ピアフ)- Non, je ne regrette rien



Edith Piaf(エディット・ピアフ)の「Non, je ne regrette rien(水に流して)」です。

わたしの人生でこれっぽっちも後悔することはないと歌っています。

Édith Piaf(エディット・ピアフ, 1915年12月19日 - 1963年10月11日)は、フランスのシャンソン歌手で、フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴でもありました。

もちろん、アメリカを始め世界中で最も人気のあるシャンソン歌手のひとりです。

彼女の音楽は傷心的な声を伴った痛切なバラードであり、その悲劇的な生涯を反映していたのが特徴で、この「水に流して Non, je ne regrette rien」 (1960年)の他に「ばら色の人生 La vie en rose」(1946年)、「愛の讃歌 Hymne à l'amour」 (1949年)、「ミロール Milord」 (1959年)などがあります。

ピアフの人生は謎に包まれていますが、映画では貧しい大道芸人の子として生まれ、幼児期に母方の祖母の娼館に引き取られ、3歳から7歳まで角膜炎で目が見えなかったがテレーズへの巡礼で目が治り、その後、貧しい街角の芸人として歌い始め、それをナイトクラブのオーナーにスカウトされそこから、ピアフの歌手としての人生が始まったとされています。

この曲は4拍子で、ゆっくとしたテンポですので、カウントをしっかりと意識しながら聞いてください。

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2011年6月11日土曜日

Connie Francis(コニー・フランシス)ーI will wait for you-



Connie Francis(コニー・フランシス)の「I will wait for you」です。

この曲もテンポがアレンジされて Slow Foxtrot の曲としてかかることがあります。

コニー・フランシス(Connie Francis、1938年12月12日 - )は、アメリカ・ニュージャージー州ニューアーク出身のイタリア系の歌手・女優で、本名Concetta Rosa Maria Franconero(コンチェッタ・ローサ・マリア=フランコネロ)です。

世界各国でヒット曲がカバーされており、日本では「Vacation(ヴァケイション)」や「Pretty Little Baby(可愛いベイビー)」「Too Many Rules(大人になりたい)」などの曲が弘田三枝子や中尾ミエ、伊東ゆかりなどによりカバーされ、ヒットしたことでも知られます。

コニー・フランシスの大変な歌唱力でつい聞き惚れてしまうわけですが、音の取り方の練習の一環ですので、曲を聞くときは必ず、どこが1(One)なのか、どこが2(Tow)なのか確認して、カウントを撮りながら聞く習慣をつけて下さい。

この曲は歌い出しが実際の楽譜ではIf(♪)it(♪)ですが、 Slow Foxtrot のステップに合わせるとIf(1、2) it(3、4) takes(1、2)となります。

このような曲の場合、今まで音楽に無縁の方はカウントを取るのが非常に困難であると思いますが、それを取ろうと思うことで脳が活性化されて、神経細胞がつながり、少しずつわかるようになりますので諦めずにいろいろな音楽を聞いてください。

実際にこのまま原曲でデモが踊られる場合もある人気のある曲です。

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2011年6月10日金曜日

Nina Simone(ニーナ・シモン)- Feelin' Good -



Nina Simone(シーナ・シモン)の「Feeling Good」です。

この曲はさまざにアレンジされて、slowfoxtrot の曲としてかかる場合もあります。

曲を聞くときは必ず拍子に合わせてリズムをカウントしてください。

この曲は4拍子ですので、1,2,3,4のどこが1なのかあるいは2なのか、確認しながら聞いてください。

ニーナ・シモン (Nina Simone、1933年2月21日 - 2003年4月21日)は、アメリカのジャズ歌手・音楽家で、本名は、Eunice Kathleen Waymon(ユニース・キャサリン・ウェイモン)です。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第29位にランクされました。

ちなみに「ローリング・ストーン」(Rolling Stone)は音楽や政治、大衆文化を扱う アメリカ合衆国の隔週発行の雑誌です。

ニーナ・シモンは、1933年2月21日に米国ノースカロライナ州に7人兄弟の6番目として生まれ、4歳からピアノを弾き始め、彼女の天才的な才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得て、クラシック音楽のトレーニングで有名なジュリアード音楽院に進学します。

しかし、貧しかった家族を助けるため、1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・バーのオーナーに薦められ歌い始め、やがて名前をニーナと改め、尊敬するフランスの女優、シモーヌ・シニョレに因んで、「ニーナ・シモン」としました。

音楽はジャズに限らずポップスなど幅広いジャンルを取り入れた他、1960年代の黒人公民権運動にも参加するなど精力的な活動を見せました。

2000年を過ぎてからフランスに居を構え、2003年4月21日、フランスのCarry-le-Rouetの自宅で70年の生涯を終えました。

ライブから「Revolution」です。



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